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第1映画部隊(First Motion Picture Unit, FMPU)は、第二次世界大戦中にアメリカ陸軍航空軍(USAAF)が有した部隊である。のちに第18陸軍航空軍基地部隊(18th Army Air Forces Base Unit)と改称した。当時の陸軍航空軍における主要な映画製作部隊であり、映画業界関係者のみで構成された最初の部隊であった。彼らは実用性だけではなく娯楽性も重視したプロパガンダ映画および訓練用映画を400本以上制作した〔。『Resisting Enemy Interrogation』(尋問への抵抗)、『Memphis Belle: A Story of a Flying Fortress』(メンフィス・ベル:空の要塞の物語)、『The Last Bomb』(最後の爆弾)など、第1映画部隊が手がけた作品は全て劇場で公開された。クラーク・ゲーブル、ウィリアム・ホールデン、クレイトン・ムーア、ロナルド・レーガン、ジョン・スタージェスといった著名な俳優・監督が所属していたことでも知られる。映画制作のほか、従軍カメラマンの訓練・教育も第1映画部隊の任務であった。 1943年には『First Motion Picture Unit』と題された第1映画部隊に関するドキュメンタリー映画が自主制作され、アナウンサーのがナレーターを務めた。 ==背景== 1941年12月にアメリカ合衆国が第二次世界大戦に参戦した時、陸軍の各種映画製作はが担当し、陸軍の一部局である航空軍の映画も信号隊が手がけていた。しかし、航空軍司令官ヘンリー・アーノルド将軍は航空軍の独立性を強調する為にも独自の映画撮影部隊が必要だと考えていた。1942年3月、アーノルドはワーナー・ブラザース社長、プロデューサーのハル・B・ウォリス、脚本家のオーウェン・クランプ(Owen Crump)らを招き、新たな映画撮影部隊の編成を依頼した。この際、ワーナーには中佐、クランプには大尉の階級が与えられたが、ウォリスだけは航空軍将校の肩書を辞退している。当面の問題は航空軍への志願者およびパイロットの不足であった。アーノルドは少なくとも100,000人のパイロットが必要だと伝えた上でワーナー・ブラザーズと契約を結び、こうして志願兵募集映画『Winning Your Wings』(翼を得よ)が制作された〔。 『Winning Your Wings』の監督はクランプで、ジェームズ・ステュアートが主演した。ステュアートの演じた威勢のよいパイロットのキャラクターは、アメリカ国民の抱く航空軍パイロットの印象を大きく変えたと言われている〔〔。この映画はわずか2週間で制作されたが、映画としては大成功を収め、アーノルドはこの映画によって100,000人のパイロット志願者が集まったとしている〔。なお、ワーナー・ブラザーズではこれ以前にも、『Men of the Sky』(空の男達)、『Beyond the Line of Duty』(責務を超えて)、『The Rear Gunner』(後方機銃手)といった航空軍関連の映画を制作している〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「第1映画部隊 (アメリカ軍)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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